野球は商業、ラグビーは工業
高校野球は商業高校、高校ラグビーは工業高校が多いなぁと思ったのが最初の印象です。中京商業、高松商業、松山商業、広島商業、福井商業、岐阜商業、佐賀商業、横浜商業などが甲子園に出ていて活躍をしていました。
一方、高校ラグビーは秋田工業、黒沢尻工業、熊谷工業、相模台工業、佐賀工業、伏見工業などなど。工業高校は身体が大きくて逞しい人が多いのかなと。
就職先
就職したのが、総合電機メーカーの工場だったので、周りは地方の工業高校出身者が多く、とりわけ東北・九州から上京していました。関西は地元に就職先があったのでしょう。ラグビー部も同じでした。
数年して判ったのですが高卒社員は工場が採用し、大卒は本社採用になっていました。工場の強化スポーツだったラグビー部は東北・九州の強豪高校出身の高卒のラガーマンばかりでした。丁度この頃は新日鉄釜石が七連覇したことから、釜石のように強くなるんだと言うことで会社は採用や施設、食事などの環境面のサポートを積極的にしてくれていました。
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不思議な人たち
ラグビー部が職場と違ったのは、地方の農業高校出身者もいたことでした。金足農業、諫早農業の人たちがいて、林業科、畜産科、造園科の人たちの授業の様子を聞くと面白いことばかり、木登りして隠れて一服したり、トラクターを倒してしまい大変だったり、腹が減ったら農園に行ってリンゴ🍎を食べていたりと楽しい高校生活を送っていたようでした。工場なのに農業高校の人がいるんだなぁと不思議に思ってもいました。
工業高校を応援
そんな環境にいたことから、工業高校が身近になりました。私は公立普通高校卒業なので、機械科、電気科、土木科、電子科、地質工学科、情報技術科などの実習の話など新鮮でとても興味深かったです。
花園の全国高校ラグビーの応援も当然、仲間の出身校を応援するようになります。因みに私の出身校は地区大会の1回戦または2回戦で敗退してしまうので花園なんて夢のまた夢。でも1学年下は春季大会で3回戦か4回戦まで勝ち進み関東大会まであと一つと言うところまで行きました。先輩としては誇らしい限りです。
工業高校の効果
日本の高度経済成長を牽引したのは工業でした。戦後の復興のために住宅整備、三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)、新・三種の神器3C(カラーテレビ、クーラー、自家用車)の普及、東京オリンピック(1964年(昭和39年))、大阪万博(1970年(昭和45年))のため新幹線、首都高速、東名高速、名神高速、阪神高速、環状道路、地下鉄のインフラ整備などによって世界有数の経済大国になりました。その人材育成のために工業高校は相当な貢献をしたのだと思われます。
工業高校の花園出場
花園に出場した公立の工業高校を過去に遡って調べてみました。全国高校ラグビー大会が始まったのは、1917年(大正6年)で4校の争いでした。
工業高校で全国大会に最初に登場したのは秋田工業で1929年に初出場し以来67回出場し最多の15回優勝をしています。次いで18年後の1947年に熊本工業が出場しています。
津工業、淀川工業、光風工業そして盛岡工業と続きます。この頃から5校に1校(20%)は工業高校となり、1960年代になると3校に1校(33%)と言う時期もありました。2010年以降も5校に1校(20%)を維持し続けています。
※御所実業は公立で工業科があるので工業高校として数えています。
➜花園の全国大会とは
少子化、工業の海外への流出などによって工業高校は減少しています。統廃合によって工業の看板を外し普通高校になったり、総合高校と名乗ったりするのは時代の流れで寂しいが致し方なし。
頑張れ工業高校
そんな中、ラグビーを頑張っている工業高校がいることは誇らしく想い、ついつい応援に熱がこもります。秋田工業、佐賀工業、黒沢尻工業、関商工、新潟工業、八幡工業、和歌山工業、米子工業、魚津工業、岡谷工業
さいごに
データ改ざんなど不祥事が公けになることが多い昨今、そんなに賢い人はいないかもしれませんが工業高校出身者ならば絶対にウソはつかないだろうなと思い頭の良い人たちがお金儲けのためにしてしまうんだろうなぁと寂しくなります。ここまで頑張って来た日本の工業、規模は小さくなってしまっても信用を失ってはいけないと肝に銘じています。
頑張れ!! 工業高校!!
頑張れ!! 日本!!🎌