今も忘れないあの喉越しのスッキリ感。美味しさとは環境、体調も関係して味わえるものなのです。
製造技術担当の職場に配属をされました。聞きなれない言葉ですが、製造をする為の技術担当です。製造ラインを作ったり、製造する為の設備や道具を準備したり、新機種を製造する為の準備をします。製造するための環境を整える仕事です。
工場の休日に出勤をして、新しい製造ラインを導入したり、製造ラインを改造したりすることが多くありました。私はラグビー部だったので、あまり休日出勤はありませんでしたが、練習・試合の無い時で仕事がある時は、出勤して手伝いもしました。
新しい設備を導入すると言うのは、なかなか思った通りにはいかないものです。明日から製造ラインを稼働させないといけないのに、調整が間に合わないと言うこともありました。徹夜で調整作業をして、朝、製造現場の人達が出勤して来て、製造ラインを稼働させて、動作説明をするまで、徹夜と言うこともありました。
確か、夏休みの時で、工場の休日は空調が効かないので、夜中、暑い中、作業をした想い出があります。なんとか、休み明けのライン稼働が間に合って、明け休となります。寮の自宅に帰ります。帰宅途中の敷地内のスーパー・マーケットで朝食を買って、ついでにビールを買いました。
徹夜明けに買ったビールは、初めて見るビールで青いラベルにヨットの絵が描かれていて、いかにも夏をイメージした、サッポロのクールドライです。部屋に帰り、汗だくなので、風呂に入り、風呂のお湯は無いですし、水道からお湯は出ませんでしたが、汗を流したので、ぬるま湯で汗を流して、サッパリしたところで、冷凍庫にグラスと共に冷やしておいた、クールドライをクイっと。
きめ細かい泡が、のどから、身体全体に浸み渡りました。スーッと飲めて喉がカラカラな時にとても良いなぁと、あっと言う間に大瓶2本を飲んで寝ました。夕方からは練習です。
残念なのは、その後、あのスーッとした飲み心地を再度味わいたく、探しましたが、クールドライにはそれきり出会えていません。
アサヒ、スーパードライは、1987年発売の辛口生を売りにした大ヒット商品です。日本国内シェア3位だったアサヒがスーパードライのヒットにより、日本一になっています。スーパードライの発売後にキリン、サッポロ、サントリーの各社もドライと言う名前のビールを販売し、ドライ戦争と言われていました。現在は残っていないので、結果はアサヒの一人勝ちでした。
辛口と言う味付けもさることながら、350㎖の缶ビールの出荷量を増やし、家庭での消費が瓶ビールから缶ビールへと移行して行き、販売戦略と合わせて大成功をしたそうです。スーパードライは海外でも辛口生、SUPER DRY、極度乾燥として人気があります。
アサヒのスーパードライが登場する前は、キリンが断トツ人気でした。主力はラガービールです。西武球場でビール売りのアルバイトをしていたので、良く知っています。
サッポロ、クールドライは、1989年発売の夏型ドライビールとして販売されていました。
今でも忘れられない、人生の中でも一番美味しかったビールの中の一つです。