🏠松尾村
社会人初めての合宿は岩手県の松尾村に行きました。岩手山の麓にあるとってもきれいなところです。岩手県出身者が多かったので、合宿の後に帰省する者もいると言うことで、この地に決まった様です。とても暑い年で、全然避暑地と言う感じではありませんでしたが、グラウンドの水道の水がとても冷たくて美味しかったことを覚えています。後は熱射病とかで数人、練習中にダウンして日陰で休んでいたことも覚えています。地元の自衛隊と練習試合も行いました。とにかく暑い暑い松尾村でした。宿の周りに店など無く、ラグビーをして宿に帰るだけの2~3日でした。
🏠山中湖
東京から近いので、避暑地、リゾート地として有名な山中湖周辺もラグビーの夏合宿が盛んです。慶應義塾大学の施設があり、地獄の夏合宿としても有名で、スポーツ推薦入学の制度が無い慶応が夏合宿でタックルと走力を徹底的に鍛え、ラグビー有名高校出身者が多くいる早稲田、明治と互角に戦えるまで鍛え上げます。菅平の夏合宿は試合をしに行くことが多く、何度か菅平の前に走り込みをする目的で山中湖での合宿を行いました。山中湖は一周約13.87kmとランニングに丁度良い距離でした。グラウンドで走ったり、坂道ダッシュをしたり、一周走をしたりしました。湖畔での朝の散歩と体操は気持ち良かったです。山中湖は標高が高く涼しいのですが、富士山の火山灰と砂利が多くてグラウンドには小さな砂利が多かったです。
🌊九十九里浜
社会人の強豪、三洋電機(現パナソニック)が砂浜で合宿をするとの記事をラグビー・マガジンで読み、足腰を鍛えるのに九十九里浜で2泊3日の夏合宿も行いました。砂浜は走りづらく、砂浜で足が砂に埋まってしまうので足腰を鍛えるのにはとても良いですが選手としては、とても疲れて、暑くてヘロヘロでした。二度とやりたくない砂浜合宿でした。
🍶ラグビー部の宴会🍙
社会人ラグビーの活動は、秋季大会がメインで、関東社会人連盟のリーグ戦で、一部に上がることがチームの目標でした。私が入社した1985年(昭和60年)は、トップリーグは未だ無く、関東社会人、関西社会人、九州社会人が各々リーグ戦を行い、年末から全国社会人大会を行っていました。
関東の社会人最強リーグは関東社会人一部で、東芝府中、三洋電機、リコー、サントリーなどが所属していました。私が入る前の年に入れ替え戦で敗退し一部から二部に降格してしまっていたのです。秋季リーグ戦は9月から始まり、6試合位のリーグ戦を行い、二部の代表決定戦を勝ち進むと一部との入れ替え戦に進めます。
世間がラグビーで盛り上がる年末にはシーズンは終了していて、1月末までオフ、2月から練習開始し筋トレを中心として身体造りから始めます。4月から練習試合を行い、夏合宿を経て秋のリーグ戦に突入して行きます。
大人の世界では節目と言うのが大事で、春の打ち上げ、秋季リーグ戦の打ち上げ、新人歓迎会など様々な宴会がありました。価格が控えめなので、会社の従業員クラブを利用することが、食事は若い食べ盛りの選手が多かったので、おにぎりや唐揚げなどの揚げ物が多かったです。乾杯の後は、無言で黙々と食べていました。
お酒はお腹が落ち着いてからでした。暫くすると芸が始まります。若い頃は芸を考えて行くのが苦痛でした。
🌸新人歓迎会
新人歓迎会は花見を兼ねて多摩川の河原で行うのが恒例でした。河原でバーベキューを行いました。家族持ちの奥さんなどに運転手と調理をお願いして、午前中は会社のグラウンドで新人とOBを交えたOB戦を行います。現役選手は新人を除いてフォワードとバックスが反対のポジションをやります。
OB戦を終えると部室でシャワーを浴びて河原へ移動をします。幹事と奥さん方の協力で野菜切りなど準備は終了していて、火を起こしてバーベキューの始まりです。ビール、焼酎、日本酒などを沢山飲んで新人の紹介、芸の披露となります。つまらないと川!!となります。暖かくなって来たとは言え、4月上旬の多摩川の水はまだまだ冷たいです。
新人はほぼ潰れてしまいます。私もそうでした。先輩に介抱されて和が深まっていく変な伝統です。嫌な思い出が二つあります。一つ目は2年目で、幹事役となり車を持っていたので、新人の送り迎えをしました。帰りの車で潰れた後輩に社内で吐かれました。
もう一つは強者の新人です。年は一学年下ですが、学卒なので5年目にT海大の主将が入ってくると言うことでラグビー部の話題は持ちきりです。ラグビー・マガジンにもロックのM君がボールを持って突進する写真が掲載されていたり、楽しみにしつつ、新人歓迎会では誰が潰すのか恐れていました。恐れていたことが現実となり、プレーは勿論、お酒も豪快でした。何とかおとなしくさせて寮の部屋で休ませていましたが、復活をして、残りの酒で宴会していた私達に加わる新人らしからぬ行動にビックリさせられました。