はたらくおじさん

気球に乗って、♪はたらくおじさん、はたらくおじさん♫のテーマ曲で街を探検するテレビ番組。小学校の道徳の時間にNHK教育テレビで放映していた『はたらくおじさん』と言う番組を観ました。テレビの放送で、社会で働く人々(当時は男の人)の仕事を子供に判り易く説明していました。

🏭工場のしごと

私が就職したのは、電機会社の工場でコンピュータを開発・製造していました。工場は私と生まれた1年前の1966(昭和41)に出来たそうです。技術職、技能職、事務職の職種があり、高卒採用は技能職が8割位でした。製造現場に配属される人が多かったです。

 

1985(昭和60)当時は、コンピュータは未だ身近なものでは無く、私が入社した年に日本初の小型日本語ワープロを発表して大ヒットしました。量産製造用の製造ラインがありました。

 

職場配属されてから、1ヵ月位実習で製造ラインに入り、部品供給、組立ライン、検査ライン、梱包ラインと全ての工程を経験しました。

 

工場の連休前日には、恒例の徹夜での生産があり、製造ラインの人達だけでは足りないので、間接の人達も駆り出されて、徹夜での生産を行いました。

 

入社してからも、より効率的に製造するために製造ラインに新しい設備を導入しました。

 

新人の実習で入ったプリンターの製造ラインも量産用の製造ラインでした。部品や製品の搬送は自動化されていました。海外輸出用として製造されていました。

 

工場は電源の製造ライン、クリーン・ルームの中にHDDハード・ディスクの製造ライン、プリント基板の製造ライン、コンピュータの製造ラインがありました。ラップトップ・コンピュータが世の中に登場して来るのは、間もなくです。

テクノプロキャリア-エンジニア転職-

 

🏉ラグビー部も働きます

ラグビー部の人達は、繁忙な職場、ワープロ、プリンター、電源、HDD、プリント基板、コンピュータの製造ラインの他、解析、修理や部品管理、生産管理に配属されていました。

 

工場のインフラ、電気、水、ネットワークを管理する職場にもラグビー部の人達がいました。設計にも数名いました。

 

工場は朝815分に始まり、夕方の515分までが勤務で、ラグビーの練習は、定時間後の545分から始まり、約2時間位、毎日練習していました。

 

作業着の着心地

工場なので、服装は作業着です。安全靴を履いて、作業着、作業ズボン、作業帽を被ります。寮に住んでいる人が多いので、作業着で通勤する人も多かったです。寮から出る時から仕事モードです。

 

独身寮は、社宅と同じ敷地にあり、工場から徒歩で10分位ですが、駅と反対側にあり、寮の近くには飲み屋がほとんどありませんでした。敷地内にスーパーマッケットが一軒あるくらいでした。

 

練習が終わって飲みに行くのは、駅前の飲み屋でした。ラグビー部を応援してくれていた割烹に良くお世話になりました。夕方になると必ず食事に来る常連さんがいて、カウンターで一杯飲みながら、その日のことや、テレビを観ながらお店のご主人と楽しそうに話しをしていました。

 

土建屋さんなのでしょうか。作業着で来ていました。機嫌が良いと差し入れを頂いたこともあります。ラグビー部を応援していてくれていました。

 

工藤静香のお母さんが経営していた飲み屋も工場から駅に向かう途中にありました。1975(昭和50)頃には、駅前銀座も無く、飲み屋、食事が出来る所は、ここ位だったと聞きました。ラグビー部の先輩も練習が終わって、食事をしに良く行ったらしいです。お母さんが当たり前ですが、そっくりでした。

 

ラグビー部はお揃いのエナメル・バックで、練習着を入れて、独身寮から作業着で通勤していました。持ち物は練習用具の他は財布だけですがお金はあまり無く、従業員証と食券があれば、普段は大丈夫です。

 

アウト・ドアに飲みに行って、ヘロヘロになって帰って来て、すぐさま部屋で布団を敷いて寝て朝方、ゴワゴワするなと思い、起きると、作業着のままだった。なんてこともありました。作業着の寝心地は良くありません。

 

風呂に入って、なんとか温いお湯が出ました。下着を取り換えて、作業着を又、着て出勤です。作業着通勤だと普段着の洗濯が下着だけで済むので楽でした。結婚して主務になってからは、作業着で通勤しないで普段着で通勤する様にしました。

仕事に活かせる仕事ガイド

 

社会人ラグビーのはたらくおじさん

強豪の東芝府中のラグビー部が働いている府中工場は扱っている製品が大きく電車やエレベーター、工場の電源装置、大型コンピュータを開発・製造していてラグビー部の人達は、生産担当が多かったです。

 

新日鉄釜石ラグビー部の人達は鉄鋼所で鉄を掘ったりする力仕事をしていたと本で読みました。真冬でも暑くて汗を沢山かくので、塩を持って地下に降りて行くそうです。日本代表のキャプテンも務めた松尾雄治さんは、鉄鋼所の管理担当で、地震感知のため、なまずを監視していたらしいです。

警視庁、大阪府警のラグビー部の人達は機動隊で、交通規制や警護に当たっていたようです。機動隊の制服を着てヘルメットを被り、防護盾を持って東京・大阪を守っています。日頃から訓練で身体を鍛えているので、丈夫な身体をしています。警察官はラグビー、柔道などの格闘技の訓練が必須となっていると聞きました。試合には窓ガラスに鉄格子のある護送車でやって来ます。

 習志野自衛隊は優秀なパラシュート部隊で、降下訓練はバンジー・ジャンプの様に高さ11mから飛び降りる訓練塔があります。訓練で走っているので、走るスタミナがありました。松戸自衛隊の風呂はグラウンド横の施設で、立って浸かる湯船でした。足が伸ばせますが、立っていなければならず、私はくつろげませんでした。湯船に浸かる時間も決められているのでしょうか。

関西の強豪、近鉄ラグビー部の人達は、朝夕のラッシュ時の満員電車に人を乗せてあげる役目だったと本で読みました。菅平の夏合宿で練習試合をして貰い、フォワードが大きく強かったです。

サントリーのラグビー部の人達は営業で営業車を運転してお客さんと接しているそうです。

広告代理店の博報堂は、お客さんが国産車のメーカーもあるので、国産車には乗らずにBMWなどの外車に乗っていました。きっと給料も良かったのでしょう。

伊勢丹のラグビー部の人達は、伊勢丹の店頭に立って営業、販売をしていたと聞きました。

社会人ラグビーと呼ばれていた頃は、皆さん、ラグビー選手でありながら、仕事をしていて、会社によって違いますが、朝から夕方まで働いて、夕方にラグビーを練習すると言うチームが多かったです。

 

帰宅すると、風呂に入ってビールが美味い訳です。明日も仕事なので、美味しいビールもそこそこにと言うラガーマンが多かったと思います。今日も元気だビールが美味い。

 

社会人ラグビーの応援に行くと、職場のパートさんらしき女性が元気な声で応援していたのを良く見かけました。三洋電機のラトゥの奥さんなのでしょうか、トンガの女性の応援も良くスタンドに響きました。

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