菅平夏合宿

🏉菅平夏合宿

社会人の夏合宿は会社のお盆休みを利用するので812日頃から815日位の日程です。試合を行いながら最終調整をするには対戦相手の沢山いる長野県菅平高原がおすすめです。

 

菅平高原はラグビーの夏合宿が盛んでラグビー・グラウンドは約100面あり、毎年800チームが訪れます。現在はほとんどのグラウンドが芝生となっています。

 

他の社会人チームも同じ様にお盆休みに菅平にやって来ます。社会人では関東、関西のチームが多くいました。菅平観光協会発行の宿泊チームの一覧表を宿泊するホテルから貰い、対戦相手を見つけていました。

 

私が入社した2年目(1986(昭和61))から毎年、夏は菅平に行っていました。当時、上信越自動車道は無かったので東京から行くと、群馬県の藤岡ICから先は一般道を通行していました。

 

お盆休みの前日の仕事が終わってから出発していました。大型バスでの移動です。夕食と寝酒を買い込んでバスに乗車します。夜7時頃に出発して到着は翌日未明の1時とか2時位に菅平の宿に到着したので67時間かかっていました。確かこの年は関越自動車道の何処かのサービス・エリアで休憩していたら、バスが故障したので、代わりのバスが来るので待ちぼうけだった気がします。

 

前途多難な夏合宿の始まりでした。バス交代のアクシデントがあったので当然、到着が12時間遅れたと思います。従って睡眠時間が減った訳です。バスの中では皆さん良く飲むこと、飲むこと、缶ビールから始まり、酎ハイになり、ウイスキーをスキットルで持参している先輩もいました。確かにバスの中では携帯用は勝手が良いです。トイレ休憩が多くなります。

 

身体の大きいラグビー部の選手達なので、酔いが回って長時間バスに乗っていると、きつくなる様で皆さん補助席に腰掛ける様になります。軽井沢近くなると碓氷峠と言う難所が待ち受けていてバスが左右に揺れます。頭も揺れて酔いが余計に回ります。碓氷峠を過ぎると酔いが回ったのかバスの中は静かになり、眠ってしまう人が多いです。おそらく12時位だったのでしょう。

 

しかし菅平に上る山道で補助席に眠っていたロックの大きな先輩が大きく揺れて倒れて来て、目が覚めました。周りにいた若手で身体を抑えていました。全く起きませんでした。真夜中に宿に到着し荷物を降ろして、取り敢えず大部屋に布団を敷いてやっとゆっくりと寝られました。私達のラグビー部のこの年はみやざき館、数年後には城山館、山本館、つばくら館、プチホテル・ゾンタック、菅平ホテルと宿を転々としました。理由は色々ありますが、グラウンドの自由度が一番大きな理由だったでしょうか。

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🏠みやざき館

菅平の信号を上田から来て左折をして15分位歩いた所にあります。宿の雰囲気は家庭的で道路を渡った所にグラウンドがあり良い宿でした。定宿で無くなった理由は判りません。

 

この年は前年逃した関東社会人連盟1部への入れ替え戦に勝利する為に厳しい練習が続きました。23日か34日の合宿で、最終日に同じ関東の社会人チームと練習試合をしました。試合終了後に試合の反省をグラウンドで確認しながら練習をしていました。試合に出ていない私や控え組はグラウンドの周りを走っていました。何故か相手チームのバスがグラウンドの中を走って来ます。試合の反省練習をしていた選手が散って行きます。訳がわからずに眺めていたら、バスがUターンして戻って行きました。

 

後から聞いたら、相手チームのマイクロ・バスは選手が引き上げて来るのを待っていたら選手のお子さんが知らずにサイド・ブレーキを解除してしまったらしく丘からバスが突入して来てしまったのです。運転手は外にいたらしく無人の暴走バスです。しかも子供を乗せたまま。フッカーの先輩はバスが迫ってきたので進行方向に逃げてしまい、尻を突かれたと言っていました、危険を感じて横に飛び込み危機一髪セーフ、グラウンドのネットの向こうは、更に一段下がってレタス畑です。そんな時、CTBの先輩が走ってバスに飛び乗り、運転席に座りブレーキをかけて事なきを得たと言う奇跡的な出来事だったのです。そしてUターンをして相手チームにバスを返却しました。とっさの判断と決断力、素早い身のこなし、ラグビーで鍛えているとは言え超人的です。夕食時に相手チームからお礼のビールが届いて宴会となりました。

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