ラグビーとの出会い

逞しくて格好良いラグビー。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン One for All, All for One(一人は皆のために、皆は一人のために)、ノーサイド No sideの精神(ゲームが終われば、敵味方なし)などの独特の言い回しや伝統など憧れることだらけです。

 

私がこの素晴らしいラグビーと出会ったのは、中学三年生の時で、高校受験を控えて高校の志望校を決めた頃でした。

 

🏀バスケットボールとの決別

中学校でバスケットボール部に入り、三年間をバスケットボールに捧げた私ですが、オスウッドと言う成長痛に悩まされていました。

 

オスウッドと言う名前はその後、親となり三人目の息子が中学三年生となり、私同様に膝が痛くなり、整形外科に連れて行った三十年も経ってから知りました。私は中学二年生の頃から部活のバスケの練習が終わると膝が固まったかの様になり、歩くのにも膝を曲げられない状態でした。家に帰って風呂に入ってマッサージをすると楽になりました。次第に膝が曲げられない状態が長くなり、中学三年生の時には部活の練習でウォーミング・アップをして身体が温まるまで膝の硬さを引きずる様になっていました。

 

そんな状態だったので中学三年の修学旅行で奈良・京都に行きお寺で正座をしてお経を聞くと言うのが憂鬱で仕方ありませんでした。風呂に入った時に湯船に浸かり正座の練習をしていました。そしてお尻を少し浮かして片側ずつに体重をかけて耐えられる、なんちゃって正座を習得して無事に修学旅行を楽しんだのでした。

痛みは早く治そう
こちらから
そんな膝の状態でしたので、高校に行ったら、バスケではない部活をしよう、きっと体育館の床は固いので膝にダメージが来たんだろうと自己分析していて、外のグラウンドでやるスポーツと考えた時に、野球は小学生の時に少年野球をやっていましたが、野球・サッカーの経験者にはかなわないなぁと思っていました。

 

🏉アメリカン・フットボールとの出会い

テレビでミラージュ・ボウルなる全米カレッジ・フットボールが日本に来て行う公式戦や本場アメリカの放映を良く観るようになり、華やかで格好良いなと思い、高校でアメリカン・フットボールをやりたいと思い志望校を決めました。

 

確か私が中学三年生の1981(昭和56)のミラージュ・ボウルにはUCLAと空軍士官学校が来日して後楽園球場(ですか)で対戦しました。弾丸マクニールと言うUCLAのランニング・バックが活躍したことを覚えています。

 

UCLA *University of California, Los Angeles

ミラージュ・ボウルとは、三菱自動車がスポンサーとなっていて、MVPに当時の主力車種のミラージュが贈呈されると言う試合でした。

 

アメリカン・フットボールの中継があると欠かさずに観ていたと思いますし、ルールもだいたい覚えました。

 

知らない人にはとっても難しく思えるアメリカン・フットボールですが、実はとっても簡単です。プレーヤーの人数は11人で楕円球のボールを相手陣に運ぶとタッチ・ダウンとして得点になります。四回の攻撃で10ヤード(アメリカはヤード・ポンド表記)進めば、更に四回の攻撃権が貰えます。一回の攻撃の中で前にパスを一回だけ投げられます。後ろへのパスには何回までと言う制限はありません。

 

ボールを落としたり、ボールを持ったプレーヤーが倒れたりサイドに出たらそこから次の攻撃が開始されます。10ヤード進まなかった場合は相手に攻撃権が渡るので四回目の攻撃ではキックで陣地を稼ぐことが多いです。

 

🏉そんな・・・😢

ところがある日、楽しみにしていたテレビ中継で日本のチームの対戦を観ました。中学三年生ながら、本場アメリカのNFL、カレッジ・フットボールと比べてスピード感、迫力の違いに落胆しました。テレビで放映していたので日本でも有数の強豪チームだったに違いありませんが、本場アメリカとの差に憧れが壊れてしまいました。

 

🏉ラグビーとの出会い😵

そんな落ち込んでいる時にやはりテレビで観たのがラグビーでした。

大学ラグビーで早慶明が強かった頃です。本場アメリカのアメリカン・フットボールほどの華やかさはありませんでしたが、エキサイティングで盛り上がっていました。

 

消去法でしたが、いつしか高校に入ったらラグビーをやると決めていました。この頃に海外のラグビーを観ていたらどうだったのか、本場アメリカのNBAを観ていたらどうだったのか、今と違う私になっていたことでしょう。

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