ラグビーをやっていて良かった

🏉ラグビーの素晴らしさ

ラグビーの素晴らしさを簡単に説明してみます。一つのボールを15人対15人で取り合い、ボールを前に進めて相手のゴールに持って行くスポーツ・球技です。英国のイングランド、ラグビーと言う街のRugby Schoolラグビー校で始まりました。1823年フットボール(ラグビー、サッカーの原型)の試合中に興奮したWebb Ellisウェブ・エリス少年が夢中になってボールを持って走ったことが起源とされています。

 

ラグビーが始まった頃にレフリーはいなく、微妙な判定はお互いのキャプテンが協議していたそうです。その為に、ルールを守る、紳士協定の下にプレーをされていたので、紳士のスポーツと言われているそうです。英国の上流社会の人達がプレーしていたからと言う説もあります。

 

キャプテンがチームの中心で代表です。約束した試合は雨が降ろうが、雪が降ろうが、戦い、試合後にはお互いの健闘を讃え合います。誰でもボールを持って好きなだけ走れるのが一番の魅力です。

 

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🏉楽苦美

…楽しくて、苦しい、でも美しい。

 

楽:ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に永遠の少年の魂を抱かせる

Le rugby permet aux enfants de jouer comme des grands et aux

adultes de redevenir des enfants.

~ラグビー・フランス代表元キャプテン、ジャン・ピエール・リーブ(Jean-Pierre Rives)

 

ラグビーは、ボールを持ったら、タックルに来る相手に負けない様に前に走る勇気、ボールを持った相手をタックルする勇気が必要です。One for All, All for One一人はみんなのために、みんなは一人のために。仲間のために自分を犠牲にしてボールを取り、つなぎ、トライを目指します。勇気と自己犠牲の精神が少年を大人へと成長させ、大人を少年の様にボールを追いかける楽しさで夢中にさせてくれます。

 

苦:ハードワーク

ラグビー日本代表が2015ラグビー・ワールドカップ前に半年にも及ぶ合宿練習は、世界一キツイ練習としてハードワークと呼ばれていました。早朝6時から筋トレを開始して、世界中のラグビー・プレーヤーがまだ寝ている時間の世界一早い時間から世界一キツイ練習をしたからこそ、2015ラグビー・ワールドカップでは、スポーツ史上最大の番狂わせと言われた世界3位で優勝候補の南アフリカに大逆転勝利を挙げることが出来ました。勝利は偶然では無く、必然と、一躍有名になったFBフルバック五郎丸歩も言っていました。

 

美:No Sideノーサイドの精神、試合が終われば、敵味方無し。秩父宮ラグビー場のシャワー室は、双方のチームに分かれていなく共同だそうです。死ぬ気で戦った相手とも試合が終われば、敵味方無しです。アフター・マッチ・ファンクションでお互いの健闘を称えて美味しいビールを飲み交わします。

 

🏉RUGBY

RRelated team mate、仲間と共に

U Unlimited training、キツイ練習を乗り越え

G Great journey、素晴らしい体験を

B Be enjoy、楽しむ

YYour success、成長しましょう

 

RRelax、くつろいで

Udrink Up、飲み干す

Gafter Game、試合後の

B Beer、ビールを

YYour friends、友達と

 

🏉ラグビーの歴史

かつては、お互いのチームで決めた対戦日程を尊重して交流試合を通して成長して来たラグビーは、定期戦を大事にしています。世界で最古の定期戦は英国イングランドのオックスフォード大学University of Oxfordとケンブリッジ大学University of Cambridgeの定期戦で1872年に始まりVarsity Matchバーシティー・マッチと呼ばれ、試合に出場したプレーヤーはブルーと言う称号が貰えて讃えられます。日本人で初のブルーになったのが神戸製鋼で日本代表だった林敏之です。

 

世界最古の国同士の対戦テスト・マッチはEnglandイングランドとScotlandスコットランドで1871年に行われました。その後、英国の四か国Home Unionホーム・ユニオンの対抗戦が行われます。1875年にIrelandアイルランド、1881年にWalesウェールズ代表が結成され、1882年に第一回の四か国対抗戦が行われました。Franceフランスが1910年に加わりFive Nations五か国対抗戦となり、2000年にItalyイタリアが加わりSix Nations六か国対抗戦となっています。

 

日本の最初のラグビー・チームは慶応義塾大学で1899年に英国のEdward Bramwell Clarkeエドワード・B・クラークが伝道しました。最初の定期戦は1912年に同志社大学と、1922年に早稲田大学と対戦し定期戦が始まりました。対戦チームが多くなると定期戦を組むのが困難になり、実力を重視して二部制を提案するチームが登場し、実力で日本一を決めたいチームと定期戦を重んじるチームとが分裂して現在のリーグ戦と対抗戦のグループになっています。

 

英国の領土だったNew Zealandニュージーランド、Australiaオーストラリア、South Africa南アフリカでもラグビーが広がり、英国の四か国の代表チームBritish & Irish Lionsライオンズが南半球に4年ごとに遠征をしていました。

 

南半球の対抗戦は1932年にニュージーランドとオーストラリアの対抗戦Bledisloe Cupが始まり、1996年から南アフリカが加わり、Tri Nationsトライ・ネーションズ。2012年からArgentinaアルゼンチンが加わり、Championshipとして行われています。

 

1985年に世界一を決める大会を行いたいニュージーランド、オーストラリアの働きかけでプロ化を懸念していた英国を説得して、1987年に第一回のラグビー・ワールドカップがニュージーランド、オーストラリアの共催で開催されて、以降4年毎に行われて、サッカー・ワールドカップ、オリンピックに次ぐ、世界で三番目のスポーツ・イベントになっています。

 

ラグビーのワールドカップを中心にラグビー界が回る様になりました。初めて観たラグビー・ワールドカップは、20歳の時、社会人になり社会人ラグビーを始めて2年目でした。民放でもテレビ放映をしていて、開幕戦のニュージーランド代表のJohn Kirwanジョン・カーワンのイタリア戦での90m独走トライと192cm90kgWTBウイングと言う身体の大きさにビックリしました。

 

確かその年の年末のボーナスでカンタベリーのニュージーランドの14番がデザインされた15,000円のジャージーを買いました。大事にしていたのに、20年近く経った海外出張先のホテルでクリーニングに出したら、高圧で洗ってしまったのでしょう。黒が薄くなり白地の部分が赤くなってしまい、凄くがっかりしました。手洗いの注意マークが書いてあるのに、日本語では読めませんね。反省し、深く落ち込みました。

 

まさか、ジョン・カーワンが日本に来るなんて

第一回ラグビー・ワッルドカップの年の秋に世界一になったニュージーランドが日本にやって来て、日本代表と国立競技場で対戦しました。勿論、一番安い席だったと思いますが、観に行きました。ジョン・カーワンを生で観られました。WTBウイングの沖土居だったと思いますが隅にトライをして、かろうじて完封を免れて4-106でした。反省会と称して、飲み会は忘れません。

 

ジョン・カーワンは、1997年にNECに入団して日本でプレーをしました。NECは新しい(1985年創部)チームで、私達のチームと係わらずにトントン拍子に当時、最上位の東日本社会人リーグになりました。社会人ラグビーは、年末から始まる全国社会人大会しかテレビ放映をしておらず、プレーを観たくても観られませんでした。

 

ジャパン・セブンスの7人制の大会があり、各国の代表チーム同士の対戦と、社会人・大学チームの強豪同士の対戦が交互に行われました。秩父宮ラグビー場で土日の2日間開催されました。土曜日にラグビー部の同期の結婚式が都内であり、その前に秩父宮で同期と7sを観てから披露宴に出席しました。

 

暖かい陽気の秩父宮ラグビー場は、お祭りムードで、お花見気分でビールが美味しく、応援も盛り上がります。上着は脱いで、白いYシャツでネクタイは外しての応援です。少し後ろの席にNECの選手席があり、試合を終えた、ジョン・カーワンが休息とバナナを食べにやって来ました。試合に勝利していたので、握手して貰い、サインを貰いました。

ラグビーをやっていて良かったなぁと思った数少ない、嬉しい想い出です。

 

そして更に数年後の2006年には、日本代表のヘッド・コーチになりました。秩父宮ラグビー場では、遠目に観たことはありますが、近寄れたのはこの時だけでした。財布の中にあった名刺の裏に書いて貰ったサインは私の宝物でしたが、引っ越しで捨ててしまいました。想い出は一生ものです。

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