日本のラグビー・ブーム

9月20日に開幕したラグビー・ワールドカップは、南アフリカの三大会ぶりの三度目となる優勝で43日間の夢のような至福の時の幕を閉じました。
ラグビーのワールドカップは今回が九回目ですが、いわゆるラグビー強豪国の八強以外の国で開催されるのは初めてのこと。ラグビーの人気がそれほどでもなかったので大会が盛り上がるか心配をしていましたが、日本代表の大活躍もあり、各地で盛り上がり良かったと思います。運営に携わった皆さん、ボランティアでサポートして下さった皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
にわかファン なる言葉が流行るほど、ラグビーがブームとなっています。
ブームとは、ある物が一時的に盛んになること。急に熱狂的な人気の対象となること。
過去にもラグビーのブームがありました。私がラグビーを始めたのも、かつてのブームのおかげでラグビーを知り、面白いな、やってみようと思ったのがきっかけです。
そんな1980年代は大学ラグビーの伝統校・早慶明が強く、北の鉄人・釜石人気に沸き、テレビ・ドラマのスクール・ウォーズのヒットとラグビー人気が絶頂だったのではないでしょうか。そんな日本のラグビーを振り返ってみます。

目次

主な出来事

主な出来事 日本代表監督・H/C テストマッチ記録 社会人優勝 大学優勝 高校優勝

日本ラグビー創生期

1874
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ラグビー伝来

1899

慶応義塾大学ラグビー部創部 

1917 全同志社
1918 三高
1919 同志社中
1920 同志社中
1921 香山蕃 同志社中
1922 同志社中
1923 同志社中
1924 京都一商
1925 東西対抗開始 同大

慶大

同志社中
1926

日本ラグビー協会設立 

中止
1927 京大 同志社中
1928

関東五大学対抗戦開始

京大 同志社中
1929

花園ラグビー場開場

慶應義塾普通部
1930 日本代表の初テスト・マッチ △3–3 BC 慶大 京城師範
1931 明大 京城師範
1932 ○9–8 CAN
○38–5 CAN
早大 京城師範
1933 早大 秋田工
1934 ●8–18 AUU
○14–9 AUU
京大 鞍山中

台北一中

1935 明大 天理中
1936 北島忠治 ●8–16 NZU
△9–9 NZU
培材高普
1937 早大 秋田工
1938 明大 撫順中
1939 明大 撫順中
1940 明大 台北一中
1941 早大 北野中

福岡中

1942 慶大 天王寺中
1943
1944
1945
1946 福岡中
1947

秩父宮ラグビー場開場

関西学院大 秋田工

函館市中

1948 配炭公団 早大 秋田工
1949 三井化学 明大 秋田工
1950 八幡製鉄 早大 天王寺
1951 八幡製鉄 明大 秋田工
1952 奥村竹之助 ●0–35 OXU
●0–52 OXU
八幡製鉄 早大 秋田工
1953 ●11–34 CBU
●6–35 CBU
九州電力

近鉄

早大 福岡
1954 八幡製鉄 明大 慶應義塾
1955 八幡製鉄 秋田工
1956 北島忠治 ●14–16 AUU
●8–19 AUU
●6–19 AUU
近鉄 秋田工
1957 近鉄 保善
1958 西野綱三 ●3–34 NZU23
●6–32 NZU23
●3–56 NZU23
八幡製鉄 早大 秋田工
1959 知葉友雄

和田政雄

●17–21 BC
△11–11 BC
●6–54 O&CU
●14–44 O&CU
八幡製鉄 保善
1960

1960年代

八幡製鉄 秋田工
1961 近鉄 同大 保善
1962 八幡製鉄 天理
1963 葛西泰二郎 ○33–6 BC 八幡製鉄 保善
1964 八幡製鉄 法大 秋田工
1965 八幡製鉄 早大 盛岡工
1966 大西鐡之祐 近鉄 早大 天理
1967 作者誕生 ●3–19 NZU
●8–55 NZU
近鉄 法大 福岡電波
1968

オールブラックス・ジュニアに勝つ

○23–19 NZJ
●16–25 NZU
トヨタ自工 慶大

早大

秋田工
1969 ○24–22 HKG 近鉄 日体大 目黒
1970

1970年代

○42–11 THA
●6–16 NZU
●14–28 NZU
○32–3 BC
●14–46 NZU
リコー 早大 盛岡工
1971

イングランドと接戦 

●19–27 ENG
●3–6 ENG
三菱自工京都 早大 天理
1972 岡仁詩

横井久

○24–22 AUC
△17–17 AUC
○16–0 HKG
リコー 明大 目黒
1973 ●14–62 WAL
●10–19 ENU23
●18–30 FRA
リコー 早大 目黒
1974 斎藤寮 ●31–40 NZU
●31–55 NZJ
○24–21 NZU
○44–6 SRI
近鉄 早大 大分舞鶴
1975 岡仁詩 ○16–13 CBU
●7–37 AUS
●25–50 AUS
●12–56 WAL
●6–82 WAL
三菱自工京都 明大 国学院久我山
1976 日比野弘

横井久

斎藤寮

●6–45 NZU
●7–38 BC
●9–34 SCO
●9–63 WAC
●15–58 ENU23
●3–25 ITA
○11–3 KOR
新日鐵釜石 早大 目黒
1977 斎藤寮 ●16–20 OXU
●9–74 SCO
トヨタ自工 明大 大阪工大高
1978

新日鐵釜石V1 

斎藤寮

宮地克実
横井久

●6–42 QLD
●16–55 FRA
○16–4 KOR
新日鐵釜石 日体大 国学院久我山
1979

本城人気

1980釜石V2

横井久

今里良三

●19–21 ENG
●18–38 ENG
●19–28 CBU
新日鐵釜石 明大 目黒
1980

1980年代

釜石V3

山本巌

斎藤寮

△25–25 NZU
●13–15 NED
●3–23 FRA
○21–12 KOR
新日鐵釜石 同大 伏見工
1981 釜石V4

ラガー刑事登場

斎藤寮 ○10–9 AUU 新日鐵釜石 明大 大阪工大高
1982 釜石V5

作者高校ラグビー始める

山本巌

日比野弘

○18–12 HKG
○24–18 CAN
○16–6 CAN
●20–35 NZU
●6–22 NZU
●0–43 ENU
○31–15 NZU
●9–12 KOR
新日鐵釜石 同大 国学院久我山
1983 釜石V6 日比野弘 ●10–15 O&CU
●24–29 WAL
新日鐵釜石 同大 天理
1984 釜石V7

スクールウォーズ始まる

ノーサイド リリース

日比野弘

宮地克実

●0–52 FRA
●12–40 FRA
○20–13 KOR
新日鐵釜石 同大 秋田工
1985 作者社会人ラグビー始める 岡仁詩 ●15–16 USA
●13–48 IRE
●15–33 IRE
●0–50 FRA
●0–52 FRA
トヨタ自動車 慶大

明大

大東大一
1986 △9–9 USA
○26–21 CAN
●18–33 SCO
●12–39 ENG
●22–24 KOR
トヨタ自動車 大東文化大 国学院久我山
1987

第一回ラグビー・ワールドカップ 

宮地克実

日比野弘

●18–21 USA
●7–60 ENG
●23–42 AUS
●12–24 IRU
●0–74 NZL
●4–106 NZL
東芝府中 早大 秋田工
1988 日比野弘 ●12–23 OXU
●13–17 KOR
神戸製鋼 大東文化大明大 茗溪学園

大阪工大高

1989 平成元年

スコットランドに勝利 

宿澤広朗 ○28–24 SCO 神戸製鋼 早大 天理
1990

1990年代

スクールウォーズ2放送

●6–32 FJI
○28–16 TGA
○26–10 KOR
●11–37 SAM
●15–25 USA
●9–13 KOR
神戸製鋼 明大 熊谷工
1991 第二回ラグビー・ワールドカップ ●9–20 USA
●15–27 USA
●26–49 CAN
○42–3 HKG
●9–47 SCO
●16–32 IRE
○52–8 ZIM
神戸製鋼 明大 啓光学園
1992 小藪修 ○37–9 HKG 神戸製鋼 法大 伏見工
1993 ●27–30 ARG
●20–45 ARG
●5–55 WAL
神戸製鋼 明大 相模台工
1994 ○24–18 FJI
○20–8 FJI
○22–10 HKG
○26–11 KOR
神戸製鋼 大東文化大 相模台工
1995 第三回ラグビー・ワールドカップ

ブルームフォンティーンの惨劇 

●16–47 TGA
●16–24 TGA
○34–21 ROU
●10–57 WAL
●28–50 IRE
●17–145 NZL
サントリー

三洋電機

明大 大阪工大高
1996 山本巌 ○34–27 HKG
●9–33 HKG
●18–45 CAN
○24–18 USA
●5–74 USA
●30–51 CAN
○41–25 KOR
東芝府中 明大 西陵商
1997

平尾ジャパン誕生

平尾誠二 ●20–42 HKG
○32–31 CAN
●12–20 USA
●29–51 USA
●18–42 CAN
●23–41 HKG
東芝府中 関東学院大 国学院久我山
1998 ●22–30 CAN
●27–38 USA
○38–31 HKG
●16–17 HKG
○25–21 USA
●25–34 CAN
○44–29 ARG
○40–12 KOR
○134–6 TPE
○47–7 HKG
●17–21 KOR
トヨタ自動車 関東学院大 啓光学園
1999 第四回ラグビー・ワールドカップ ○23–21 CAN
○44–17 TGA
○37–34 SAM
●9–16 FJI
○47–31 USA
○30–7 ESP
●9–43 SAM
●15–64 WAL
●12–33 ARG
神戸製鋼 関東学院大 東海大仰星
2000

2000年代

●22–47 FJI
●21–36 USA
●25–26 TGA
●9–68 SAM
◯34–29 KOR
●18–62 CAN
●9–78 IRE
神戸製鋼 関東学院大 伏見工
2001

サントリーがウェールズに勝利 

向井昭吾 ○27–19 KOR
○65–15 TPE
●10–64 WAL
●30–53 WAL
●8–47 SAM
○39–7 CAN
サントリー 関東学院大 啓光学園
2002 ○59–19 RUS
●29–41 TGA
○90–24 KOR
○155–3 TPE
○55–17 KOR
○120–3 TPE
●34–45 KOR
サントリー 早大 啓光学園
2003 第五回ラグビー・ワールドカップ ●27–69 USA
●34–43 RUS
●5–63 AUA
●15–66 AUA
○86–3 KOR
●10–37 ENG
●20–55 ENG
●11–32 SCO
●29–51 FRA
●13–41 FJI
●26–39 USA
神戸製鋼 関東学院大 啓光学園
2004 萩本光威 △19–19 KOR
○29–12 RUS
○34–21 CAN
●19–32 ITA
●8–100 SCO
●10–25 ROU
●0–98 WAL
東芝府中 早大 啓光学園
2005 萩本光威

ジャン・ピエール・エリサルド

●18–24 URU
●36–68 ARG
○91–3 HKG
○50–31 KOR
○23–16 ROU
●10–15 CAN
●12–44 IRE
●18–47 IRE
○44–29 ESP
東芝府中 早大 伏見工
2006 ジャン・ピエール・エリサルド

太田治

○82–9 AGU
○50–14 KOR
○32–7 GEO
●16–57 TGA
●6–52 ITA
●9–53 SAM
●8–38 NZJ
●15–29 FJI
○52–3 HKG
○54–0 KOR
東芝 関東学院大 東海大仰星
2007 第六回ラグビー・ワールドカップ ジョン・カーワン ○82–0 KOR
○73–3 HKG
●15–30 FJI
○20–17 TGA
●10–71 AUA
●3–13 SAM
●3–51 NZJ
●12–36 ITA
●3–91 AUS
●31–35 FJI
●18–72 WAL
△12–12 CAN
三洋電機 早大 東福岡
2008 ○39–17 KOR
○114–6 AGU
○82–6 KAZ
○75–29 HKG
●21–42 AUA
○35–13 TGA
●12–24 FJI
●22–65 NZM
●31–37 SAM
○29–19 USA
○32–17 USA
東芝 早大 常翔啓光学園
2009 ○87–10 KAZ
○59–6 HKG
○80–9 KOR
○45–15 SGP
●15–34 SAM
●21–52 NZJ
○21–19 TGA
●39–40 FJI
○46–8 CAN
○27–6 CAN
三洋電機 帝京大 東福岡
2010

2010年代

○71–13 KOR
○60–5 AGU
○101–7 KAZ
○94–5 HKG
●8–22 FJI
○31–23 SAM
○26–23 TGA
●10–13 SAM
○75–3 RUS
東芝 帝京大 東福岡

桐蔭学園

2011 第七回ラグビー・ワールドカップ ○45–22 HKG
○61–0 KAZ
○111–0 UAE
○90–13 SRI
●15–34 SAM
○28–27 TGA
○24–13 FJI
●24–31 ITA
○20–14 USA
●21–47 FRA
●7–83 NZL
●18–31 TGA
△23–23 CAN
サントリー 帝京大 東福岡
2012 エディー・ジョーンズ ○87–0 KAZ
○106–3 UAE
○52–8 KOR
○67–0 HKG
●19–25 FJI
●20–24 TGA
●26–27 SAM
○34–23 ROU
○25–22 GEO
サントリー 帝京大 常翔学園
2013

さよなら国立競技場

○121–0 PHI
○38–0 HKG
○64–5 KOR
○93–3 UAE
●17–27 TGA
●8–22 FJI
●18–22 WAL
○23–8 WAL
○16–13 CAN
○38–20 USA
●6–54 NZL
●17–42 SCO
○40–13 RUS
○40–7 ESP
パナソニック 帝京大 東海大仰星
2014 ○99–10 PHI
○132–10 SRI
○62–5 KOR
○49–8 HKG
○33–14 SAM
○34–25 CAN
○37–29 USA
○26–23 ITA
○18–13 ROU
●24–35 GEO
パナソニック 帝京大 東福岡
2015 第八回ラグビー・ワールドカップ

ブライトンの奇跡 

○56–30 KOR
○41–0 HKG
○66–10 KOR
△3–0 HKG
○20–6 CAN
●18–23 USA
●22–27 FJI
●20–31 TGA
○30–8 URU
○40–0 URU
○13–10 GEO
○34–32 RSA
●10–45 SCO
○26–5 SAM
○28–18 USA
パナソニック 帝京大 東海大仰星
2016 ALL OUT!! 放映 ジェイミー・ジョセフ ○85–0 KOR
○38–3 HKG
○60–3 KOR
○59–17 HKG
○26–22 CAN
●13–26 SCO
●16–21 SCO
●20–54 ARG
○28–22 GEO
●30–33 WAL
●25–38 FJI
サントリー 帝京大 東福岡
2017 ○47–29 KOR
○80–10 KOR
○29–17 HKG
○16–0 HKG
○33–21 ROU
●22–50 IRE
●13–35 IRE
●30–63 AUS
○39–6 TGA
△23–23 FRA
サントリー 帝京大 東海大仰星
2018 ○34–17 ITA
●22–25 ITA
○28–0 GEO
●31–69 NZL
●15–35 ENG
○32–27 RUS
神戸製鋼 明大 大阪桐蔭
2019 令和元年

第九回ラグビー・ワールドカップ

エコパの雄叫び(産声)

横浜のボコり合い

〇34-21 FJI
〇41-7 TGA
〇34-20 USA
●7-41 RSA
〇30-10 RUS
〇19-12 IRE
〇38-19 SAM
〇28-21 SCO
●3-26 RSA

慶應義塾大学ラグビー部創部

正式部名は慶應義塾體育會蹴球部が創部。日本で最初のラグビー部。慶應義塾の英文学教員の英国スコットランド人のエドワード・B・クラーク(Edward Bramwell Clarke)がケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助とともに、指導しました。

日本代表の初テスト・マッチ

テスト・マッチとは国の代表チーム同士が闘う国際試合のこと。かつての日本は力の差があり、なかなか国の代表チームとは試合を組んでもらえませんでした。そのため外国のチームとの対戦(例えば大学など)をテスト・マッチとしていました。テスト・マッチに出場したプレーヤーにきキャップが贈呈されます。1930年9月24日に日本代表はカナダのバンクーバーに遠征をして初のテスト・マッチをブリティッシュコロンビア州代表と行いました。

東西対抗

東西大学対抗ラグビー。全国大学ラグビーフットボール選手権大会(大学選手権)の前身大会で関東と関西の大学が対戦して日本一を決定していました。

日本ラグビー協会創立

1926年11月30日に創立。秩父宮ラグビー場敷地内にあります。住所は東京都港区北青山二丁目8番35号最寄り駅は東京メトロ外苑前駅で徒歩5分、JR総武線 千駄ヶ谷駅から徒歩20分。

定期戦

関東五大学対抗戦開始。関東大学ラグビー対抗戦の前身となる定期戦が慶大、早大、明大、立大・東大の五大学で開始。その後、東京商大(一橋大)、法大が加わり、更に東京文理科大(東京教育大➜筑波大)、日大、中央大が加わるも対戦方式への意見の食い違いなどにより、リーグ戦として分裂する。▷関東大学ラグビー対抗戦、▷関東大学ラグビー リーグ戦

花園ラグビー場

東大阪市花園ラグビー場。東大阪市の花園中央公園内にあるラグビー専用競技場で3つのグラウンドがあり、第一グラウンドの収容人数は26,544人、第二グラウンドの収容人数は1,300人、第三グラウンドの収容人数は2,880人。年末年始の風物詩・全国高校ラグビー大会が行われます。青春にトライ!!。住所は大阪府東大阪市松原南一丁目1-1。最寄り駅は近鉄奈良線 東花園駅で徒歩10分、駅から一直線の通りはスクラム・ロードと名付けられています。

秩父宮ラグビー場

関東大学ラグビーのOBなどの財政支援によりラグビー専用競技場として1947年に東京ラグビー場として完成。日本ラグビー協会名誉総裁だった秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟)が建設に協力してくれたことから命名されました。住所は東京都港区北青山二丁目8番35号最寄り駅は東京メトロ外苑前駅で徒歩5分、JR総武線 千駄ヶ谷駅から徒歩20分。収容人数は24,871人。昭和の時代は冬に枯れてしまう高麗芝を使用していたが、洋芝を使うようになり冬も緑の絨毯のようになりました。外苑前再開発により、神宮球場と場所を入替て建替える計画をしています。2021年に神宮第二球場を取り壊し、跡地に新秩父宮ラグビー場を建設し工事完了後(2024年)に現秩父宮ラグビー場を解体し跡地に神宮球場を建設します。

オールブラックス・ジュニアに勝つ

1968年6月3日、日本代表、ニュージーランドに遠征しオールブラックス・ジュニア(U23)に23-19で勝つ@ウェリントン。この試合で4トライと大活躍した坂田好弘(近鉄)は翌年にカンタベリー大学に留学しカンタベリー代表選手としてプレーしました。2012年、日本人初のラグビー殿堂入り。関西ラグビー協会会長

イングランドと接戦

1971年9月28日イングランド 6-3 日本@秩父宮ラグビー場。観客席に入りきれずにグラウンド脇まで観客が入ったようです。馴染みの飲み屋のご主人が語り草のように日本代表の一番の試合だった。と何度も聞きました。テレビで観たのか今度聞いてみます。でも1時間は同じ話を我慢しないといけません。その先に進むのか、過去にはありません。

本城和彦

1979年早大に進学。前年、国学院久我山で全国優勝。早稲田大学ラグビー蹴球部に入部し1年生から司令塔スタンド・オフのレギュラーとして定着。正確なゴール・キックと華麗なステップ、ラグビー選手らしからぬ甘いマスクで大人気となりました。日本代表にも選出されて10キャップ。早大卒業後はサントリーに進みました。早大、協会で要職に就き、七人制日本代表監督に就任しました。

新日鐵釜石

新日本製鐵 釜石製鐵所。現日本製鉄 釜石製鉄所。1959年富士製鐵 釜石製鐵所ラグビー部として創部。日本一になると言う未来図を描き、地元の身体の大きな粘り強い高校生、頭脳となる大学ラグビーのスター選手を数年に一度、採用し朝8時から夕方5時まで製鐵所で働き、夕方5時から会社のグラウンドで強い足腰と強靭な身体、海外から情報を取り寄せた最先端のラグビーで鍛え上げて日本選手権七連覇(1978年~1984年)を達成しました。日本選手権は社会人優勝チームと大学優勝チームが成人の日(1月15日)に国立競技場で日本一を争うラグビーの一年間の総決算でした。鉄とラグビーのまち釜石は港町でもあり、ラグビーの応援では漁の安全と大漁を願う大漁旗が降られて名物となっていました。その後、製鉄所の縮小化により、ラグビー部はクラブ・チーム化し釜石シーウェイブスとして活動しています。

ラガー刑事登場

日本テレビの人気刑事ドラマ・太陽にほえろ の捜査一係の刑事、竹本淳二は高校生の時にラグビーをやっていたと言う設定でニックネームはラガー。演じたのは渡辺徹。アイドル並みの人気を誇り歌手デビューもしました。1981年登場~1985年殉職。

スクールウォーズ

TBSで放映された実話を元にしたテレビ・ドラマ。1984年10月~1985年4月TBS系列で放送。神奈川県の川浜高校を舞台に元日本代表のラガーマンの熱血体育教師が校内暴力で荒れる高校に赴任しラグビー部を創り、不良少年たちの心を開き、無名のラグビー部を七年間で日本一に導くと言う涙無くしては見られない名作です。主人公の滝沢賢治を山下真司が熱演しました。実話は京都の伏見工高の山口良治総監督で「信は力なり」と言う教えによって高校日本一になっています。NHKのプロジェクトXでも紹介されました。

ノーサイド

ユーミンこと松任谷由実が作詞・作曲したラグビーの試合終了ノーサイドを題材にした曲。1984年リリース。大阪・花園の1983年(昭和58年)度の全国高校ラグビーフットボール大会の決勝戦、天理対大分舞鶴のロスタイムに大分舞鶴がトライを決めて18-16となり、決まれば同点となるゴール・キックを外してしまったことから曲が生まれました。

ワールドカップ

国の代表チームの対戦テスト・マッチはお互いの国を行き来して行っていて、母国イングランドを中心に英国四ヵ国(ホーム・ネーションズ) + フランスでの交流試合形式で発展して来たラグビー。世界一を決める大会(ワールドカップ)を開催したいニュージーランド、オーストラリアの訴えに対しホーム・ネーションズの国々は勝利優先のプロ化の流れを懸念して反対をしていましたが、1987年に第一回大会がニュージーランド、オーストラリアの共同開催で実現しました。以降4年ごとに開催され、ワールドカップを頂点とする流れになりました。

スコットランドに勝利

日本代表の監督に宿澤広朗が就任し相手を徹底的に分析し勝っちゃいました。日本がIRB常任理事国の八ヵ国(England, Scotland, Ireland, Wales, France, New Zealand, Australia, South Africa)に勝つのは初めてのこと。スコットランドはライオンズ(British and Irish Lions: England, Scotland, Ireland, Walesから選ばれた全英代表)のNZ遠征に主力が参加したため、スコットランド代表では無く、準代表級のスコットランドXVとしてスコットランド協会はテスト・マッチとはしていませんでしたが、快挙です。1989年5月28日@秩父宮ラグビー場 〇28-24、日本特有の梅雨時の湿気でムシムシとした暑さが大きな味方となりましたが、足首に刺さる低いタックルは見事でした。

ブルームフォンティーンの惨劇

第三回ラグビー・ワールドカップ1995で初戦ウェールズに●10-57、第二戦はアイルランドに●28-50と連敗しプール戦敗退が決まった第三戦は優勝候補筆頭のニュージーランド・オールブラックスと対戦。南アフリカの中部にある司法首都のブルームフォーンティーンで決勝トーナメント進出を決めたニュージーランドは若手中心のメンバーでしたが自己アピールをするため、手加減無しの全力で攻められ続け、前半だけで12トライ、後半も9トライを取られて●17-145の大敗となりました。残念ながら未だワールドカップでの最多得点差として記録されています。日本はフランカーの東芝府中 梶原宏之の意地の2トライを取るのがやっとでした。唯一、勇気を与えてくれました。この大敗をきっかけにラグビー人気は衰えてしまい、暗黒の時代へ突入してしまいます。

平尾ジャパン誕生

1997年(平成9年)ラグビー界の至宝、ミスター・ラグビーこと平尾誠二が現役を引退したばかりの34歳と言う異例の若さで代表チームの監督に就任しました。世界に通用する日本ラグビーの強化とラグビー人気の復活にラグビー・ファンの期待が集まりました。外国人選手の積極器用。キャプテンも東芝府中のアンドリュー・マコーミック(元関西学院大ヘッド・コーチ)を器用し、戦略分析チームを組織化、トップチーム以外のチームや他競技からのラグビー編入を試みた平尾プロジェクトを立ち上げるなど様々な改革をしました。

スクールウォーズ2

大ヒットしたテレビ・ドラマのスクール・ウォーズの続編。1990年9月~1991年1月TBS系で放送。熱血体育教師の元ラグビー日本代表の滝沢賢治が茨城県下川市(架空の市)にある少年院の中の県立河北高校の分校(光成学園)に赴任し川浜一の悪と恐れられた大木大助がコーチとなり花園出場を目指すと言うストーリー。

さよなら国立競技場

2020東京オリンピックに向けて建て直すことになった国立競技場。数々の名勝負が繰り広げられました。ラグビーでは12月第一週日曜日の早明戦、1月15日成人の日の日本選手権が冬の風物詩となり、たくさんの観客が訪れました。本城人気の早稲田ファン、新日鐵釜石の大漁旗で湧きました。チケットを取るのが大変で発売日に新宿の地下街のチケット・センターに買いに行った想い出は昭和ならではです。入場者数のベスト10に4つもラグビーが入っているのがかつての人気ぶりを表しています。
1位:1964/10/24 東京オリンピック閉会式 入場者数:79,383人
2位:1964/10/10 東京オリンピック開会式 入場者数:74,534人
3位:1982/12/5 ラグビー早明戦 入場者数:66,999人
4位:1958/5/28 アジア大会 入場者数 :65,428人
5位:1985/1/15 ラグビー日本選手権 釜石対同大 入場者数:64,636人
6位:1958/5/29 アジア大会 入場者数:64,426人
7位:1958/5/26 アジア大会 入場者数:64,236人
8位:1984/11/23 ラグビー早慶戦 入場者数:64,001人
9位:1977/9/14 サッカー日本代表対N.Y.コスモス(ペレ最終戦) 入場者数:61,692人
10位:1989/1/15 ラグビー日本選手権 大東文化大対神戸製鋼 入場者数:61,105人
最後の早明戦2013年12月1日は試合後にユーミンがノーサイドを唄うと言うことで久し振りに満員の観客が集まりました。

サントリーがウェールズに勝つ

日本遠征中のウェールズにサントリーが勝っちゃいました。2001年6月3日〇45-41@秩父宮ラグビー場。ウェールズは初戦で日本特有の蒸し暑さに慣れずに後半バテてしまい、緻密にこの日のためにウェールズを分析し戦略を練って来たサントリーの勝利。日本が世界に勝つための大きな一歩でした。

ブライトンの奇跡

2015年9月19日イングランドの南の港町の観光地ブライトンにて第八回ラグビー・ワールドカップのプールBの初戦、優勝候補の一角、当時世界三位の南アフリカにワールドカップでは過去に僅か1勝しかしていない日本が奇跡的に勝利をしました。〇34-32 初戦で硬さのある南オフリカの身体の強さを活かした闘い方に対して徹底的に分析をして、二人がかりでタックルをして直ぐに起き上がりボールをつなぐ日本人のスピードと勤勉さ我慢強さを活かしたディフェンスとアタックそして最後は世界一過酷なハードワークで鍛え上げたスタミナで逆転勝ちをし、世界中を驚かせました。史上最大の番狂わせはハリー・ポッターの作者J・K・ローリングをしてもこんな夢のような話は書けないと言わせるほど。

エコパの雄叫び(産声)

2019年9月第九回ラグビー・ワールドカップ日本の第二戦は、プールA最強そして当時世界ランキング二位のアイルランドと対戦。勝てないまでも次の残り二戦につながる良い試合を期待していました。誰もが。技ありのトライで先制されるも必死にペナルティ・ゴールで食らいつき、そんな実力差を知らない にわかファンの後押しもあったのか、後半勝負所での起爆剤としての器用を予定していたキャプテンのマイケル・リーチの思わぬ早期投入が加わり、押せ押せムード。アイルランドは初戦のスコットランドを圧倒したような力は無かったのか、ワールドカップ開幕前に前回大会のリベンジはされたものの世界一の力強さを誇る南アフリカとぶつかり稽古をしたおかげで互角の勝負となります。安定したセット・プレーが出来ると素早い球捌きのスピード勝負には分があり、後半のスタミナにも自信がある日本代表は最大の味方・地の利・蒸し暑さと地元の声援に後押しされてまさかの逆転。奇跡を再び起こして世界中を驚かせました。しかし勝って当然だと強くなった実力を証明しました。大会の名場面にもなった③tighthead prop具君のスクラムを押し勝った後の雄叫びが強い日本代表の産声となることでしょう。

横浜(ハマ)のボコり合い

プールA最終戦は全勝で一敗のスコットランドと対戦。この試合で日本が勝つと念願の決勝トーナメント進出が叶う大切な試合。対するスコットランドは既にアイルランドに負けてはいるものの日本戦に勝利をすれば決勝トーナメントへ進出出来るので、両チームとも負けられません。そんな想いがプレーにも表れる、まさに一進一退の攻防。
得点経過 前半 7分 18分 26分 40分 後半 43分 50分 55分
日本 0 7 14 21 28 28 28
Scotland 7 7 7 7 7 14 21
前半先制したスコットランドはその後は日本が猛攻、そのままの勢いで後半立ち上がりにも日本が得点し圧勝を思わせるような展開でしたが、油断は禁物、ここからスコットランドの逆襲が始まりました。ラスト25分は時間が早く過ぎるのを祈りつつ手に汗握る展開でした。白熱した両者の魂のこもった、とっても面白いゲームでした。台風Hagibis(ハギビス)上陸により開催が危ぶまれていて、台風による試合中止の場合は、引き分け扱いとなり、日本代表の決勝トーナメント進出が決まります。しかしキャプテンのリーチ・マイケルはスコットランドをボコリたい。勝って決勝トーナメント進出を決めたいと記者会見でコメント。チーム・メイトからもボコリたいと言う表現は日本代表なんだからとなだめられていましたが、メンバー、チーム・メイト更には日本代表を応援するファン全てが同じ気持ちでした。案の定、試合はお互いの持ち味を活かした打ち合い(乱打戦)に、ボコリ勝ちました。

ブームで終わらせるな

ブームはとってもありがたいことで、ラグビーに注目が集まることで、もっともっと面白くなります。ラグビーそのものは同じでも観客が盛り上がっていると、なんか面白そうな感じがします。ちょっと観てみようかなと言う気持ちになりますし、観客の応援は選手に伝わり、もっと頑張ろうと言う気持ちになり、エキサイティングなプレー、勇気あるプレー、身体を張ったプレーが生まれます。良いプレーは観客の心をつかみ、相乗効果が生まれます。
ラグビー先進国のようにラグビーが一時のブームではなく、文化の一部になり、人気が定着することを願っています。
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