応援してくれていた人たち

私が子供の頃の応援と言えば運動会だけでした。小学校4年生から少年野球、中学生はバスケ、高校はラグビーをやって、ラグビーにはまり、社会人になっても続けました。

こう言った課外授業である部活の応援に親は来たことはありませんでした。仲間も同じです。親の応援は無いのが当たり前の時代でした。全国大会に出るようなチームだときっと違うのでしょうが。

クラスの友達が来ることも先ずありません。こっそりと彼女が観に来ていたと言う友達はいました。うらやましい限りです。

親が運動会に応援に来てくれたのは、小学生まででした。何故か親が来るのが恥ずかしい。と言う思いがありました。

時代が変わり、親になると子供の応援は欠かしません。運動会は勿論、少年ラグビー(ラグビー・スクール)、部活の試合となるとほぼ皆勤で応援に行っています。

運動会は場所取りに朝一番に校庭に行き、特等席を確保し、撮影部隊として種目ごとにビデオ・カメラを持って私がベスト・スポットを探し移動します。保育園などで一緒だったクラス・メイトや同じ会社のお父さん方も同じようにビデオやカメラを持って移動しているので良くすれ違いました。

同じマンションの先住民は子供が同学年と言うこともあり、メイン・イベントの徒競走ではビデオの撮影場所をスタート地点、全体が観える場所、ゴール地点と役割り分担して撮影後に合体編集をすると言う強者家族もいました。

と言うか、そもそもラグビー・スクールと言うのは、普段通っている学校とは違い、歩いて通える場所には無いので、車での送り迎えが必要です。私はラグビー大好き親父で娘・息子達にラグビーを始めさせた張本人なので、初日から指導員・コーチに誘われて以来どっぷりです。

ところが出張などで、ラグビーに行けない時の送り迎えは妻が行います。片道1時間弱かかるので、3時間の練習だと送り迎えで行ったり来たりするのはガソリン代の無駄遣いと思い、練習を観て待っています。次第にチーム・メイトのお母さん同士は仲良しになり、いつの間にかルールも覚えて、逞しい応援団となります。

子供にとってお母さんが応援に来てくれていると言うのは、安心感があるみたいですね。安心してプレー出来ると普段の練習で出来ていることがいつも通りに出来るので大事なことです。特にラグビーでは特別なことは必要無く、いつも通りのことが当たり前に出来ることが必要とされます。

応援には気持ちを高ぶらせてくれる高揚感と、気持ちを落ち着かせてくれる安心感の両方の効果があるみたいです。また、相手チームの応援に対して、負けるもんかと言う反骨心を高ぶらせてくれる効果もあるみたいです。

応援に駆け付けてくれなくても、お弁当を作ってくれたり、着替えを準備してくれたりと子供を応援してくれていて、心を込めてくれているのが親と言うものです。子供の頃は当たり前と思っていたことが、親になると改めて大変さが身に染みて判り、感謝の気持ちが甦って来ます。

当時はそんな気持ちが判りませんでしたが、好きなことをやらせてくれていること。一生懸命にプレーすることが親孝行です。

クラス・メートから激励されたことはありませんでしたが、社会人ラグビーでは、職場の同僚が試合結果を気にしてくれているのも応援していてくれているからです。負けた時などは結果を言いたくなく不機嫌だった自分が何と小さく情けなかったと今では思います。

ラグビー部の成績などを気にかけてくれている学校の先生もきっと陰ながら応援してくれていたのだと思います。

応援してくれている人のためにプレーしている訳ではありませんが、応援してくれている人を喜ばせるためにと言う気持ちは自分の力をより頑張らせてくれるものです。感謝の気持ちがエネルギーになり、底力を発揮させてくれます。応援するチームのジャージを着て行くと一体感が湧きます。

応援するチームの席が隣同士になることもあるラグビー観戦。意外にもケンカにはならずに仲良くなったりするケースもあります。そこには選手同様に相手を敬う気持ちがあるからです。相手チームでも良いプレーには拍手をする。相手に罵声を浴びせない。レフリーにも敬意を払い、ラグビーって楽しいなと思っていただければ幸いです。

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